天地人「愛の花戦」
今回は淀殿と北政所の対立の前フリですかね。
黒百合の話が元になってるんかなと。あいまいな記憶ですが。
そんなさなか鶴松が死去。悲しみにくれる淀殿をはげましたのは、どんど晴れ菊姫さん。
子のない苦しみと子を亡くした悲しみを分かち合う?友情が芽生えたのでありました。
ほんとかよ!( ´Д`)
未だ淀vs北政所が発展して関が原に至ったという考えが根強いですが、意外にも司馬良太郎さんはそんなに仲が悪いようには描いてないんですよね。まあ全ての著作を読んだわけではありませんが。
最近では北政所は西軍派だった、という説も出ているようですし。
まあそんなわけで子を失った秀吉といえば朝鮮出兵。
なんで日本は2度も朝鮮半島と手に入れようとしたがるのかと思いました。
狭い島国に住む者の広い大陸に対する憧れかも知れませんね。
その出兵に巻き込まれる全国の大名。
それに反対するわれらが兼続ですが、三成曰く
「豊臣の天下を磐石にするため」
彼なりの忠誠心は熱いです!
でもこのせいで今でも韓国では秀吉と伊藤博文の扱いが悪いですよ~。
韓国に観光に行かれる方は是非。苦笑
そんなわけで女だらけな回でした。
相変わらずワガママセレブやらせたらピカ一の深キョンの棒読み演技が素晴らしい!
(ほめてます!)
他にも突っこみどころとしては殿にヒゲが!
ぐらいですかね・・・。
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コメント
HINAKAです。
ひさぽん様
淀殿(御承知だとは思いますが、淀君の「君」という呼称は、上位者には蔑称です)は、言わずと知れた織田信長の妹、お市の方と浅井長政との間に生まれた長女です(この辺に、ミステリーを感じる場合もあるようです)。
この人の立場から見れば、そもそも秀吉は母の実家の家来であり、その母と実の父とその後の義理の父(柴田勝家)を死に追いやった、張本人です。
如何に下克上の世の中でも、見る目が上から目線になるのも当然と、思えます。
オマケにその正妻・北の政所は、叔父信長の、足軽頭の娘……その親友?で、誰もが認める豊臣政権の大黒柱、前田利家の正妻・お松の方も生まれはどっこいです。
それが、秀吉の下での順位では、正妻に次ぐ、明らかに夫共に女性としても、お松の方が名実共に第2位。
ようやく側室第1位で、自分が在りますが、実質的には第3位以下。よほど、出来の良い人でなければ、色々と難しい立場です。
オマケに、秀頼誕生!
関ヶ原の戦いは、要は臣下同志の勢力争いと思っていたら、あらよあらよと言う間に、徳川政権に。
織田・豊臣流の中央集権的な、新しい政治政権下に育った彼女に、家康の地方分権・復古主義的な封建制も、馴染めなかったでしょう。
そして、北の政所のようにその生まれと育ちから、簡単に(かどうかは、疑問ですが)勢力争いから離脱する事も、許されなかったでしょう。
江戸時代の長きに渡って、大きな歴史や人物像の改変改鼠が行われた為に、本当のところはほとんど分からなくなりました。
そもそも、妹の2代将軍徳川秀忠(秀吉に忠義を尽くすの意)の正室お豪の方との関係……お豪の方は、徳川歴代夫人の中でも、烈女とか猛女とかの勇名をただ1人背負う驚異の姐さん女房!まだ、大奥は出来ていません。
自分の力で夫に、側室を持たせなかった唯一の徳川夫人とも、言われています。
ある意味、絶対に江戸時代の初めまでと、幕末には女性の圧倒的な存在感を、政治的にも歴史的にも感じます。
ですから、淀殿VS北の政所と言う図式も、単なる秀吉を巡る女の戦い……程度に収められる事には、大いに疑問を感じます。
長々と、スミマセン。
投稿: HINAKA | 2009年8月 3日 (月) 22時18分
>HINAKAさん
熱い語りありがとうございます!
育ちや血統が今より大きな意味を
持っていた時代、そのプライドを
最後まで守ろうとしたのが淀殿かも
しれませんね。
逆に自分が成り上がりの人間だと
自覚している北政所やおまつの
実より実をとる、という現実派が
結果として生き残っていったという
事実があります。
そしてその正反対の二者の周囲に
つく人間の争いが関が原、ではないかなと。
そういえばお江の方は再来年の
大河の主役だそうですね。
どういう風に描かれるのやら。
投稿: rin2@朝 | 2009年8月 4日 (火) 20時57分