« 桜の山道 | トップページ | 漫画の価格が・・・。 »

2012年4月17日 (火)

地方分権と幕藩体制

民主党のマニフェストや大阪維新の会が推進している地方分権って要は

「幕藩体制への回帰」

につきると思うのですよね。

地方のことは地方で、中央は外交や防衛等中央でしかできないことだけすればいい、という。

まさにそれが幕藩体制だと思うのですよ。

財源に関してはほぼ完全に藩の自給自足、内政に関しても武家諸法度等の中央からの統制以外は実は藩で自由に法律を制定できました。独自の藩札といった貨幣経済も発達していたのがその証拠です。また中央=幕府による藩政への統制は現代の国と地方の関係ほど強くなかったのです。幕府は幕府で直轄地を持っていて、財源は自分でまかない(のちに上米制度ができますが。)、公共工事を藩に自前でするよう命令する。外交も行う、というからこれこそ維新の会の提唱する国としての必要な統治機構です。

幕藩体制から明治維新への流れというのは黒船来航=外国の脅威による国体変革の必要性に迫られたことが引き金というのが通説ではありますが、結局進んだ西洋技術の受容や財政改革等によって藩政運営を発展させて力をつけた地方の薩摩藩や長州藩などの雄藩が、じゃあ中央に出て国を支配してやろうという野心がきっかけとなったはず。

結局は関ヶ原の合戦によって敗者となってしまった毛利と島津が徳川に対して数百年かけたリベンジをした、ということだと思うのですよ。ただ、ここで行われたのが幕藩体制を壊すという、中央となった薩摩や長州がその支配を強めるため、天皇の名のもとに、地方までも中央の統制下に置いたことがこれまでの流れを変えてしまったわけです。

結局明治維新の王政復古は文字通り武士の台頭=地方分権の進んだ時代によって淘汰された中央集権体制の復古だったわけですが、歴史をたどると地方で地方運営ができるようになり、古代の中央集権体制が崩壊していったのは自然な流れだったと思います。

それを無理やり戻して、現在にまで至るわけですが、この流れだけを考えると、統治機構の退行だったわけです。なぜなら鎌倉幕府成立からたどると地方分権時代は700年以上も続いたわけですから、国の統治制度としては実はかなり長期にわたっており、実は地方分権こそが安定した統治体制だったのではと思えます。

歴史を振り返るをテーマに地方分権を語ってみました。

ちょっと珍しく知的ですたい。

|

« 桜の山道 | トップページ | 漫画の価格が・・・。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127690/54497222

この記事へのトラックバック一覧です: 地方分権と幕藩体制:

« 桜の山道 | トップページ | 漫画の価格が・・・。 »