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2013年8月29日 (木)

八重の桜「尚之助との再会」「帰ってきた男」

物語も三分の二に差し掛かった頃にようやく主人公に視点がいくという感じですが。

女紅場で働きはじめた八重。
「女紅場」って字面だけ見るといかがわしい場所の名前に見えてしまうのは私だけですか、そうですかw

英語を学びながら機織りなどを教える八重。

一方明治政府では朝鮮への対応を巡って藩閥政治の派閥争いが起こっていました。

海外を見てきて国内整備を優先すべきと主張する遣欧使節団組と不平士族の抵抗にあっていた国内組。いわゆる明治六年の政変の話です。

同盟して会津を倒した薩長も権力争いで分裂状態になり、そのとばっちりを受けたのが京都府知事の槇村さん。東京に拘留されてしまいます。

それを救うために上京した覚馬と八重。

そしてそこで尚之助と再会します。詐欺事件の責任で裁判中の尚之助。それを支えようとする八重ですが、尚之助に自分らしく生きてくれと諭されます。泣く泣く分かれた八重だったのでした。

そこへ現れたのが新島襄。キリスト教の教えを基にした学校をつくりたいと願う彼は覚馬を訪ねて京都にやってきます。

その熱意に動かされた覚馬は襄に協力を約束。

兄に学ばされるキリスト教の精神が分からん八重。右の頬を打たれたら左の頬を。。。のくだりは最初聞いたら日本人にとってはなんじゃそりゃと思うでしょうよう。

槇村さんに理想の女性は?と尋ねられて自分を持っている女性がいいと答える襄。

そんなタイミングで井戸の上で裁縫している八重とばったり再会。
危ない八重を支えようとした襄と二人ドッキリ!

何 こ の 少 女 漫 画 

みたいな展開!NHKクオリティー発動かあ?

と思ったら

こ れ 史 実 

だったんですってね。

そして冒頭で出会って終わりかけに襄は八重にプロポーズ。
展開が早すぎやしませんか?

ここにきて最終回はどこまでやるのかなあ・・・と不安になってきました。

個人的には八重が皇族以外で初めて叙勲を受けるところまでは描いてほしいですなあ。

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2013年8月25日 (日)

インド旅行記4~デリーから帰国~

さて、インド最終日。

この日の深夜に帰国します。
丸一日自力で移動せねばならず。

まずはすったもんだがあって紅茶を買ってから地下鉄に乗ってみます。ガイドブックのとおり、セキュリティが厳しく手荷物チェックされますが、ホンマにちゃんと見てんのかいな?
(´∀`)

ってな感じですがあえてそこはつっこまないでおきましょう。

超満員の地下鉄をなんとか乗り継ぎ、デリーの南のほうの世界遺産、クトゥブ・ミナールへ。

Img_1857

ここでやたらいろんな人に写真を撮られました。
なんでみんな日本人と撮りたがるんだろう・・・。

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で、このあとお買いもの、ということでカーン・マーケットへ。
インド人の富裕層が行くショッピング街だそうで、日本の物価で考えても高そうなものがいろいろと。客は日本人と欧米人、金持ちそうなインド人ばっかりでした。

Img_1872

違法駐車の具合から、なんばあたりのショッピング街に見えなくもないw

コスメやらの買い物と昼食のあとはフマユーン廟へ。
夕方のほうがいいとかいうので。

Img_1896

ここも世界遺産。
タージマハルの元になったそうで、点対照建築の傑作です。
たしかに似てますよね。

Img_1910

夕焼け空に幻想的な雰囲気が映えます。

でもこれ、お墓ですからねw

っていうかタージマハルもお墓ですw

そんなこんなで晩御飯を食べて日本に帰ったのでした。

で、カレー料理ばっか食ってたのでたまには違うもの・・・ということで「YAKISOBA」を注文したHさん。

Yakisoba

左側です。見た目はそれっぽいですが、味はパスタのガーリック味?だそうで、

ウスターソースなんてどこ?

ってな感じだそうな・・・。
多分インドの人が日本でカレーを食べたら似たような感想を頂くんでしょうなあ。

しかもてんこもりで完食不能。

全体的にどんな料理にもスパイスが入ってます。
さらにアグラのレストランでカレーを服にこぼしてしまった私ですが、これが全然色がとれねえ・・・。゚(゚´Д`゚)゚。

インドの香辛料の色は強力でしたい。最初、インドのハンドソープで洗って、帰ってからホテルで日本から持ってきた洗剤で洗ったら、色が黄色→赤への変色を遂げて、再び黄色に戻るという科学実験まで実施いたしましたYO!

他にも色々な事件や行った場所がありましたが、書ききれないので、インド旅行記はひとまずここまでとします。また思いついたら書きますが、総合的によくもわるくも今までよりエキサイティングな旅行でした。でもベナレス以外は予想よりはマシな環境だったかもしれません。特にデリーなんか普通に夜で歩いてましたし。(繁華街だけね。)でも聖地のベナレスは予想通りでしたい。ガイドブックには治安はいいと書いてたのですが、旅行会社からの案内には治安は悪い、と書いてまして。まあ実際に行ったら治安がいいとは決して思えませんでした。

でもまだまだこれらはインドの氷山の一角でしょうよう。

帰国して丸一日経ってますがいまのところお腹は壊しておらず、無事です。
あとは蚊にかまれちゃったので、変な病気に感染していないのいいのですが。潜伏期間があるからまだ安心できず・・・。

インドは二度と行きたくない派とまた行きたい派に二分されるといいますが、私はもう一回いってもいいかな派です。登山家としてあのヒマラヤ方面は気になる・・・。加えてあのカオスな感じは嫌いじゃないです。
あとは衛生面だけもうちょい改善してほしいよなあ・・・。(苦笑)
生野菜は絶対に食べなかったし、フルーツもバナナ以外は食べませんでした。道端で売ってるココナッツとかドラゴンフルーツとか食べてみたかったんですが、カットしてもらったらその包丁が危なそうなので。

それにしてもヒングリッシュ(インド訛り英語)の発音はつらかった・・・。

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インド旅行記その3~ジャイプール~

さて、ドライバーのおっちゃんは英語ドライバーで日本語の単語を知っている程度。助手席に先輩Mさんを座らせてしまいました。スミマセン。
人に会話を任せといて眠りこけるひでえ後輩のワタシでした。

さて、また夜にピンクシティと呼ばれるジャイプールに到着。

ここもやっぱりベナレスより色々マシ。(笑)

とりあえずホテルでご飯食べて寝ました。

で、この日は自力で観光かと思いきや、おっちゃんがドライバーしてくれるとのこと。
これはラッキー。で、朝いきなり、おっちゃんが街角のラッシー屋でおごってくれました。陶器に入った立ち呑みラッシー。
衛生が気になる2人はおそるおそる。
量も多かったそうです。
好意でおごってくれるのはありがたいんですが、インドの人に比べたら滅菌室で生活しているような日本人にとって色々と食べるものには気をつけなきゃなのがツライところ。こういうとき衛生大国日本に生まれたことがいいのか悪いのか分かんなくなります。

が、やたらのどが渇いていた私は一気飲み!イエイ!
本場のラッシーは甘くておいしかった。
でも流石に他の人の分までは飲めなかったです。

最初の観光は今年、富士山と一緒に世界遺産に登録されたばかりのアンベール城に。

着いてからラッシー効果が他の2人は出たようで、しばし、待機。(苦笑)

城は・・・とにかくデカかったです。

そして山の上だからか若干涼しいです。

どうでもいいですが、インドの人って男同士でも女同士でもなんか話す距離が近く。日本人的パーソナルスペースが狭い!・・・ということでデキてんじゃないかとやたら疑う同行者MさんとHさん(笑)

Anber1

Amber2

まだ←に続いてますねん。

Zou

城は山の上なんで、ゾウさんに乗って登るというツアーもあります。あきらかに怖そうでした。そしてもし私が乗ったら酔う自信がありますたい。
いやーこれぞインドって感じですよね。

途中で湖の上にある城を撮ったりしながら、旧市街地内に。

Mizuumi

なんでもイギリスの王子を歓迎するために、当時の王様が街中をピンクにしたのがピンクシティの名の由来だとか。この名前、日本じゃいかがわしいところを想像してしまうのはわたしだけですか、そうですかw

Pink

そしてジャイプールのシンボルといえば風の宮殿!
(ハワー・マワール)

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中学生の頃、これを教科書で初めて見たとき、すごい建物だなあと思った記憶があります。実際は意外と小さくて奥行きが狭いです。

ここでお買いものタイム。例の如く、あんまり買い物に興味がない私は、他の二人が靴とかスリッパを試着している間にちょろちょろとしてました。兄ちゃんにやったらバングル(腕輪)を勧められましてんけど、買わないって。

その後、ガイドブックに載ってる陶器の店でお買いものをして、デリーに戻ります。
5~6時間くらいかかるそうですが、ドライバーのおっちゃん、一度も休憩せずぶっとばすのがスゴい!しかもこのあとまたデリーで別の客を乗せて、またジャイプールに来るのだとか。労働基準法大丈夫かいな。。。
そしておっちゃんとの会話は今度はHさんに任せて爆睡。
今回この旅で一番楽してるのは私です。(笑)通訳せなあかんかなと思いきや、他の二人とも結構英語喋れるので安心。日本人のみなさん、中学までちゃんと勉強してたら英語は話せますYO!それでもインド訛りは聴き取れんでキツかったですが。(^^;
津軽弁を聞いているような感じ、といえば分かってもらえるでしょうか。

で、おっちゃんの快速でデリーには夕方到着。
全般的にこの旅、朝観光で午後移動です。

おっちゃんにチップを渡してお別れ。いやー助かった。
そして最後のデリーだけ自力観光です。

インド旅行記ラストに続きます。

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インド旅行記その2~ベナレス続きとアグラ編~

さて、夜明けを見てからどうするかと。

で、ボート乗りに連れてきたリキシャーのおっさんが街中を案内するという。

どう考えてもぼったくる気満々。

まあでも不案内だしいいか、と思い、とりあえずホテルで朝ごはんを食べてから回ってもらうことに。ベナレスの教会とか寺院とか仏陀が最初に説法をした地のサルナートも。

途中の道端のチャイ屋でクッキーとチャイをおごってくれましてんけど、先輩は衛生に不安があるらしくパス。・・・それが賢明だと思います、ハイ。疑わしいもんは食わない・飲まない。これ、旅の鉄則。

まあその分飲んだのが私ですけどね。(笑)
おいしかった。

で、

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ドゥルガー寺院。
中は撮影禁止。熱心な信者がお祈りしてました。靴を脱いで入らないといけないのですが、周囲の環境から衛生的とは決して言えず。
Σ(゚Д゚;)ゲゲッ

ウェットティッシュ大活躍ですたい。

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ブッダが最初に説法を行った地、サルナート。

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ストゥーパ。

何故かガキの頃、祖母に買ってもらったブッダの伝記漫画を読んでたので結構ブッダの生涯に詳しく。ここが載ってたあそこかあ、と思うと感慨深いものがあります。30年近く前にまさか自分がその場所に立ってるとは思わなかったですしね。

他にもゴールデンテンプル(ヴィシュワナート寺院)と言われる黄金でできた寺を見ました。ここは信者以外入場禁止でカメラもナシよ、だそうです。流石に黄金でできてるだけあって、厳重警戒。貴重品だけ持って入り口で眺めるだけしかゆるしてもらえませんでした。金属探知機までかけられるし。何よりボディチェックの姉ちゃんが怖かった。。。
。゚(゚´Д`゚)゚。

で、ひととおり観光が終わったら、案の定おっさんがさらに何かくれと言いだす。多分、相場よりかなり高額なガイド料を払ってると思うのですが、まだ要求するんかいな。
(゚Д゚)ゴルァ!!
まあこのしつっこさにインドの人のたくましさを感じましたYO!
なんとか振り払って、デリーに帰還。
帰りの飛行機は悪名高い(笑)エア・インディア。機内食に出されたパンがむっちゃマズかったです・・・。スミマセン、これは完食できませんでした。

デリーには夕方着いたんで、ガイドのクルブシャンと一緒に晩御飯に。またチキンカレーとか食べてしまいましたが普通においしかったです。それにしても、外国人向けなだけあって値段もそこそこです。しかし、ベナレスから戻ってくるとデリーの安心さよ。(詠嘆)道端に落ちているゴミの絶対量が違うし!なんとなく色々マシです。(笑)

翌朝は列車でアグラに移動。早朝の駅には普通に寝てる人々がいっぱい・・・。
大昔、米原の駅で同じことをしましたが、ここまで堂々と駅の構内で眠れるのはすごい。

列車は旅行会社がいい席とってくれたみたいで、日本の特急列車とほぼ変わらず。
ミネラルウォーターに新聞、朝ごはんもついてました。もちろんカレー味。(笑)

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冷房がキツすぎて寒かったので、トイレに行きたくなってしまいました。勇気を出して車内トイレを使ってみました。案の定紙はナシよ。
でもインド式は基本的に色々と(苦笑)水洗いなので、思ってたよりキレイでした。水で色々流してしまってるからかいや~な臭いもなかったです。

日本の某南アルプスのN鳥小屋のトイレと比べたらマシです!あれはスゴくていまだトラウマですたい。まだあれを超えるワーストトイレには出会ったことがありません!(笑)興味がある人は訪ねてみて下さいね☆

てなワケで正真正銘下ネタのトイレ談義はさておき。

電車は2時間ちょいでアグラ到着!
ドライバーと合流してタージ・マハルへGO!です。

いきなり押し付けガイドとか物売りの攻撃にあいましたが、振り切り中に到着。
流石インドで有名な世界遺産だけあって綺麗です。
そして外国人の入場料は1500円!日本でもこれ高い方ですよね・・・。
まあお金を落としてけということですね、分かりましたYO!

で、

Taji

どーん!

写真と一緒や・・・(笑)

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もうちょい近づいてどーん!

さらに近付いて

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どーん!
精密な図柄が大理石にちりばめられております。
インド建築の最高峰ですよ。
いやー感動しました。

某国の学生集団がジャンプして写真撮りやがって周囲の人に白い目で見られてました。同じアジア人としてあれはどうかとつっこみつつ・・・。
はしゃぐのは分かるけど、ね。
と、こんなところでナショナリズム全開。

さて、次はアグラ城へ。

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河の向こうにタージマハルが見えます。

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とにかく暑い!

この後、外国人観光客向けのレストランへ。

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バターチキンとか食べました。おいしかったです。でも辛い。(笑)
で、食事の後に出てきたのがコレ。
ミント?みたいな葉っぱと砂糖。お口直しのガムみたいな感じでしょうかいな。

そして、車で1時間半ほどのもうひとつの世界遺産、ファテープル・シークリーに。
アクバル大帝が遷都したにも関わらずわずか十数年で捨てた都の宮殿だとか。

靴を脱いでお上がり下さい、なんだったんですが。

やたら地元の人が多いうえに、やたら物売りも多い。ここに住んでるんか?って感じの人も。・・・同じ世界遺産でもちょっとタージマハルとかとは違うような。
ちょっと色々ゴミとか落ちてて汚い・・・。。゚(゚´Д`゚)゚。
ユネスコに文句言われんやろうか。確か保存計画を提出しなければいけないはず。

まあ建築物は素晴らしかったですが・・・。

そんな話をガイドにすると、

観光シーズンだし、6,7番目の世界遺産だから、

と言われました。まさか掃除の優先順位があるのか・・・。

Img_1802

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ガイドの人のおじさん(自称)に手彫りだと言う像の彫り物を買わされました。

願いをかなえるという布を買わされそうになるし・・・。
(これは寸止め成功!)

やはり・・・インドです。

Img_1825

外からのショット!
よく見ると牛さんが・・・!

Img_1811

日本じゃあまり見れない地平線と街並み。

ちなみに訪問した中ではここが一番暑かったです。

湿気とか内陸性の気候が悪い方向に働いてる感じ。

さて、こっからは車でジャイプールまで。

途中、前も見えないくらい叩きつける大雨にあいましたが、ドライバーのおっちゃんはものともせずぶっとばします。ここまで来るとプロ根性だな。

ちなみに日本と同じで料金所がある高速道路があります。
部分的にボコボコでしたが。

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インド旅行記その1~ベナレス編~

さて、行ってきました。神秘の国インド。

春先に何故か職場の後輩から誘われまして、もう一人の先輩と行ってきました。

インドに関しては腹壊したとか、ボラれたとか、汚いとか、全くいい話聞かないんで(笑)、誘われなければ多分自分からは行かなかったです。(←意外と安全主義者w)

でもよく考えたら日本のボロい山小屋とか避難小屋でもなんとかやってけれるんで大丈夫かなと思い、英語が通じるみたいだし行ってみることに。しかし前の週まで神戸まで長期の研修に行ってたんで体力が落ちて前日に熱出してたりしてました。行く前から一抹の不安。

伊丹から成田へ行って、そっからインドのデリーまで9時間程。

長時間の飛行機は疲れますのう。

機内では図書館戦争を見て過ごしました。
コメディ寄りかと思いきや、意外とシリアスな内容でした。

で、深夜にインディラ・ガンディー国際空港に到着。
セキュリティのため構内は撮影禁止。

ガイドのクルブシャン青年が待っていてくれました。日本語ガイドということですが、はっきりいって日本語がかなり怪しい・・・。話を聞いてるとけっこうなボンボンだと思うのですが。日本の企業で働くためアルバイトでガイドの仕事をしているのだとか・・・。まだ英語のほうがマシだと思いました。いやボンボンなだけあっていい人でしたが。

さて、初日はホテルで寝るだけなんで、特になし。空港は新しいせいか綺麗でした。ホテルもビビってスーペリアクラスにしたせいか、日本のビジネスホテルに毛が生えた感じで大丈夫でした。インドの真髄に触れるのはこれからです。(笑)

翌日はのっけからまた飛行機移動。

ヒンディ教の聖地、ベナレス(ヴァラナシ)へ向かいます。ガンジス河のところです。
行く前から色々な人に、沐浴はやめとけといわれたので入る予定はナシよ。(笑)

1時間ちょい程で到着。

お、デリーの空港よりボロい・・・。そしてホテルへの送迎へ乗る車の駐車場への道だけでも牛のフンが・・・(苦笑)

・・・お。インドだ。

車で1時間くらい揺られてベナレスの市街地へ。

ベトナムみたいにバイクと車がひっきりなしに行き交います。車線なんかあるかい!って感じですよ。御堂筋がカワイイもんですたい。
舗装されてない道もあってボコボコですたい。

つか信号がほとんどないという・・・。

しかし、まだ、まだ大丈夫。

さらにバイクや車の数が増えてきた中、ホテルに到着。

で、荷物を置いて、早速ガンジス河へ向かいます。初オートリキシャー乗車。

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なんかいきなりディープなインドに。。。

もちろんドライバーのおっさんはちゃんとしたところで降ろしてくれるハズもなく、どうも場所がこっちも分かっておらずなので、適当なところで降ろしてもらい、足でガート(沐浴場)を探すことに。

しかし、交通量がハンパないし、絶え間ない人、そしてそこらじゅうに落ちてるゴミの山、まさにカオスの世界です。
人に道を聞いたはいいけど、そっちへいくと明らかに違うやろ!ってな方向に。ガイドブックによるとインド人は知らなくても適当に道を教えると書いてあったなあ、そういえば。(笑)
ちなみに私は地図を見てできるだけ自力で目的地を探すほうなんですが、残り2人はすぐに人に聞く派。

で、迷い込んだ路地からは鼻をつんざく悪臭が・・・。
数匹のブタさんが生ごみ食ってました。いやあ、この臭い、インドでのワーストフレーバーナンバー1の座を来て早々に獲得しましたYO!

そして案内したげるよ、という怪しいおっさんがやってきて、着いていくとなんとかガートに到着。もちろん自分の店で買い物してけと言いだす。あとで行くから!ありがと!と言ってなんとか撒く。
出た、これがインド。

ここに着くまでに既に物乞い様たちや、客引きに散々言い寄られてますが何か?日本人とみるや否や声をかけてきやがるんですよ、ヤツらは。中国人といいはっても分かりやがるというありさま。まあいいように考えたら、それだけ日本人はカモられてる半面、リッチで人がいいと思われてるんでしょうね。

で、ガートに到着。水浴びをなさってます。どう見てもこれドロ水ですがな・・・。

この時期は雨季で水が増水中だそうで。

Mokuyoku

ま、我々日本人の感覚でそれをどうこういうのは野暮ってもんです。

Ven1

ガンジス河沿いは迷路みたいな街並み。
お犬さんとか牛さんとかヤギさんとか一杯いました。
もちろん色々なブツも。(笑)
この歩きで地面にシャツを落っことしてしまいまして、帰ったら即洗濯を心に決めました。

Ven2_3

こんな狭い道ですがあちこちに神様がまつられてたりしてます。シヴァ神とかパールバディとかいわれたら、3×3EYESしか思いつきません!

民家も色々ありますが、やはり衛生状態が気になる・・・。
こんな環境の中でも「cyber cafe(ネカフェ)」が存在しているのは流石IT大国というべきでしょうか。
子どもでもケータイ持ってますしね。

で、途中で出会った日本語ペラペラに兄ちゃんに連れられて、昼飯の店へ。
ヤヴァさ全開、と思い警戒しましたが、普通の食堂です。
ターリーを頼みましたが、米とチャパティーが大盛りで流石の大食いの私も完食できず。

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多分値段的に(これで180円弱)外国人向けではなかったと思いますが、そこそこおいしかったです。でもげっぷ・・・。

チャイも頼みます。
やっぱインドといえばチャイだよね!

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グラスの衛生が気になりますが、思い切って飲みます。
人間覚悟が必要ですよ、どんなときも。
で、グラスごと熱々で持つのが大変だったのですが、そこを一口。

(゚∀゚)ウッーウッーウマウマ

ですよ。おいしかったです。普通に。

流石本場。

ランチも終えて案内してくれた兄ちゃんの店にしゃーなしで着いていくことに。
なんか地球の歩き方にのってるそうで、買わなくてもいいらしい。
雨が降ってきたし、まあ雨宿りさせてもらうのもいいかなと。

初海外で初一人旅の18歳の日本人の男の子もいました。
ここにいついているらしく。さらに
怪我して犬になめられて病院にいかなあかんらしく・・・。

だ、大丈夫かいな。Σ(゚Д゚)

さらに衛生が気になる彼の店でシルクとパチモンの見分け方を教えてもらいました。燃やしたら分かるらしい。シルクは燃えカスがパサパサになるんだとか。ってかいちいち燃やして確認できるとは思えぬのですが・・・。笑

まあとりあえず、一つシルクの布を買いました。
日本円で3000円弱くらい。
まあ騙されてはいないかなと。

雨もやんだので、ベナレスといえば沐浴と火葬場、ってなことで火葬場に連れてってもらいました。流石にここは撮影禁止!

河べりに遺体が安置されてて火葬待ちか、そのまんまダイブかの待ちデス・・・。
(-∧-;) ナムナム

そして煙が立ち上り、人がいっぱいいる階段を登ると・・・

数体の布に巻かれた遺体が
薪の中で勢いよくファイヤー!!!
(゚∀゚)

みんなそれを囲んで見ております。
なんか祭りのたき火を囲むような感じで。

目を凝らすと火の中から足が出てきてまして、しまいには火の勢いでこっちへ倒れてきましてん。ははは。ははは。ははは・・・。
ヽ(´ー`)ノ

ベナレスでこの光景を見ると死生観が変わるといわれてますが、カッコよく言うならば、生と死が普通に生活の中に混在しているという感じですね。

まあ死をどうとらえるかは土地の習慣によって大分変わってきますが、死ねば身は燃やして河に還すという考え方はどちらかというと現実的な思想ではないかと。

きったない、(あ、言ってしまったw)ガンジス河ですが、日の出はとても綺麗で神聖な感じがしました。だからこそヨーロッパでも歌にもされるわけだ。

http://www.youtube.com/watch?v=5-AtKqt_sI8

♪陽はすでにガンジス河から
サークルの先輩の声楽の練習曲でした。

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安全面に多少不安な上、乗船料をかなりぼったくられた感のするボートからとったガンジスの夜明け。色々な日の出を見てきましたが、これは美しい。広大なガンジス河に朝をもたらす太陽がとても荘厳なものに見えます。

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ステキな船でしたよw

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2013年8月18日 (日)

業務連絡等

全国5万人、もとい多分50人くらいの読者の皆様

管理人とみたがインドに高飛びのため、

8月18日号の八重の桜感想は次週以降になります。

m(_ _)m

それにしても来年の黒田官兵衛、秀吉役に竹中直人さん再登板とは!

そういえばそろそろ再来年のテーマも発表される頃ですなあ。連続して戦国モノはできれば勘弁・・・と言っても見るけど。(笑)

来年完結するらしいから里中満智子さんの「天上の虹」を大河ドラマ化・・・とかないかなあ。。。

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2013年8月11日 (日)

八重の桜「兄の見取り図」

もう1871年になってるとは・・・!

残り4カ月程で近代編なんですね。

てきぱき働く時枝さんにぽかーんとしながら、八重は兄さまに学問をするように言われ、女性の学校「女紅場」に行くようにも。

敵の薩摩や長州の人間に協力している覚馬に八重は会津を滅ぼされた恨みは忘れんのかと問いただしますが、この京都で国づくりを進めることこそ自分の敵討ちだ、同じ国の人間同士で戦ってても意味がない、と諭します。

そんなグローバルな兄さまに感化され、八重は学ぶことを決心するのでした。

で、それとはうらはらに会津を倒すために共闘した薩摩と長州が仕切る明治政府では、遣欧使節団組と国内残留組との不穏な空気が漂ってきました。

西郷が覚馬のもとにやってきて薩摩藩邸の土地の売り渡し交渉にやってきます。

これがあの同志社大学のキャンパスにのちになるわけです。

八重は西郷につっかかりますが、それを流し、覚馬に土地の活用を願って去って行きました。西南戦争フラグがさりげにたっております。

一方遣欧使節団の中に通訳として新島譲の姿がありました。有名人物同士を対面させたがるNHK大河ドラマクオリティらしく、さりげに山川捨松と出会い、彼女も顔見せ登場。

この遣欧使節には津田梅子もいたはずですが、登場してましたっけ?

さりげに色々な伏線がはられておりますが、どう回収していくか楽しみです。

明治初期の文化方面での有名人物がちょくちょく登場してますが福沢諭吉とか登場しませんかね~。あ、この時期の諭吉さんはちょっとマズいか・・・。NHK的にも。。。

でも西の同志社に対抗するにはやっぱ東の慶応でしょう!(笑)

しかし雰囲気が一気にかつての朝ドラっぽくなってきましたなあ・・・。

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研修終了!

やっとこさ、研修が終了しました。

従来40日間かけて実施されてたみたいなんですが、それをわずか18日間に凝縮したという試みだそうで・・・。まあ確かに職場を空ける期間が短いほうがいいですわな、ってことで。

朝から晩まで授業と演習、半ばには合宿までアリと大学時代でもここまでハードな日程はなかったような気がします。しかも場所が遠い神戸のため2時間半かけて通ってました。

まあ私より遠いところから来てた人もいて、ご苦労様です。

で、なんの研修いってたんといいますと社会教育主事の資格認定講習でした。

あまり耳になじみのない言葉だと思いますが、市町村の教育委員会には必置の職で、この資格を持ってると社会教育団体に専門的な助言や指導を行うことができるそうです。まあ公的な生涯学習関連機関、つまりほとんどが行政か教育関係の職についている人のための資格だそうで。

基本的に生涯学習は何でもありな学問分野で、公的機関を中心としたイベントや講習会などの企画立案について学ぶことが主な内容だったと思います。要は「地域づくりのコーディネイター」といったところでしょうか。

まだレポート20枚書かないといけないですが・・・(^^;

業務命令で行かされ、最初はいやでいやで仕方なかったんですが、なかなか面白い話や他の自治体の人とも交流できてよかったと思います。酒もよく飲んだし・・・。(ひっく)

でもあまりにもハードだったんでもう一回講習受けろと言われたら断固拒否しますが。(苦笑)

明日から職場復帰します。席はあるんやろうか・・・。

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2013年8月 4日 (日)

八重の桜「離縁のわけ」

離婚率が上がっている昨今ですが、20年くらいまでは芸能界での出来事くらいにしか思ってませんでした。離婚があまりない時代でしたが。

まああまり家という感覚がなくなってきた現代、それは価値観の共有が取って代わるものになってきたような気がします。だからそれが合わないと離婚、ってことになるような。

そんな感じですが、明治の初期の離婚話。

尚之助さんから三行半、梶原の二葉さんも離婚、そして覚馬が生きていた知らせが届きますが、内縁の妻となっていた時枝の存在が明らかになり、うらとも離婚。

三組の離婚ですよ。

それぞれに理由があるとはいえ、どれもつらい選択ですが。

よく考えたら山本兄妹、どっちもバツイチですやん。

尚之助さんは米取引に失敗して裁判になった所以でしょうが、理由を聞かされてない八重は一方的に三行半、ってことになるでしょうね。

ちなみに江戸時代は子供が生まれないだけでも離縁されてたようで、女性には生きづらい時代だったのがよく分かります。

まあそんなこんなですが、確実に時代は動き始めて廃藩置県に明治政府は着手します。そして覚馬の才覚に目を付けた新政府メンバーは覚馬を京都府に出仕させます。

そこへ母うらと涙の別れをしたみねを連れ、八重と母は京都へ。

京都編のはじまりですYO!

さあ志々雄一派との戦いが始まります!

・・・時代や人物が丸かぶりだからどうもリンクして考えてしまうわ。

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