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2013年9月29日 (日)

八重の桜「西南戦争」「私たちの子ども」

二週分まとめて感想です。実は諸々の故障により、テレビの録画手段がいまのところないので、リアルタイムで見るしかないのでございます。よって日曜8時までに帰宅できない場合、土曜日の再放送しかなく、それも見逃せばネットで探すしかないという。。。HDD買おうかなあと思っております。

さて、西南戦争。西郷さんの決起です。不平士族の受け皿となった西郷さんは自分で彼らに最後の戦の場を与えるために戦争を起こしたのかもしれません。

会津の名誉を回復すべく、佐川官兵衛や山川浩に斎藤一は奮迅の戦いをします。しかし、十段に倒れた佐川です。武士らしく戦場で死ぬのいう望みが叶ったといいます。最後まで会津の体育会系を貫いてくれました。

佐川らの決死の活躍により、薩摩軍を破り、西郷さんは自決。
途中、山川とぱったり会い、何故会津を攻めたのか、問いただされます。それは旧勢力を滅ぼすことこそ、必要だったと語る西郷。維新は会津の犠牲の上に成り立ったのだと本心をぶつける山川。戦った二人が今度は逆の立場で向かい合う、時代の流れとはときに残酷なものです。

日本史上、最後の内乱を前後して大久保利通、木戸孝允も相次いで亡くなります。維新三傑と呼ばれた全員が亡くなってしまうのも不思議です。

一方、今回(も)主役から外された新島夫妻。同志社女学校も設立します。関東の人は知らんと思いますが、今も関西を代表する名門女子大です!

そこへ入学してきたのは八重も顔負けの男勝りなオネエチャンばっかりでした。
そのうちの一人薩摩出身のリツは戊辰の戦で父を失くしたたため会津を恨み、会津出身の八重の教えは受けたくないとダダをこねやがります。病気なのに八重の看病も受けません。ハンストです。
うっわ、ベタな展開。

余談ですが、アメリカで女性参政権の獲得に動いたアリス・ポールという人はハンストを行ったそうで、これがきっかけで女性参政権が認められたのでありんす。

国は違えど意思を通す手段はハンストですな。

まあそんなこんなですが、最初は悪かったと土下座までする八重ですが、ハンストにまで至る彼女に八重は言います。

「体を治さないと私に復讐できませんで!」

いやーこういふヒロインいいですね~。

(´∀`)

襄から八重も父と弟を失くしていることを聞き、ようやく八重の心を理解したのでありました。それにしてもリツ役の大後寿々花ちゃんは大きくなったですなあ。
松山ケンイチの相棒やってたときからいい役者になるでと思ったら。

まあそんなこんなで。
もうすぐ撮影終了らしいですね。

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2013年9月24日 (火)

早月尾根から剣岳登山

せっかくの天気のいい3連休と夏季休暇も残ってるしで行ってきました。一般登山道では最難関との呼び声高い剣岳。といっても北アルプスの大キレットとか北穂高~涸沢間のほうが危険度が高いそうですが。

剣岳の一般ルートは別山尾根という立山方面のルートがあるのですが、例年登山シーズンは混雑してて2時間待ちとかもありえるという話を聞いていたので、マイナーなほうの早月尾根から登ることにしました。そっちのほうが登山口にもいきやすいので。

なんでこっちがマイナーかというと、登山口から頂上まで標高差2200m以上、北アルプス三大急登とも言われることがある、かなりの体力勝負のルートなのです。別山尾根ルートはカニのタテバイ、ヨコバイという鎖場があるものの、比較的標高差や距離が短いので、そっちのほうが人が集まるのだとか。

基本、怖がりの私は鎖場より体力を選びます!

夜中の2時半に家を出て、うっかり高速を間違えて乗ったり、彦根付近で高速が復旧したのを知らずに下道を走ったりとモタモタしてしまい、登山口の馬場島に到着したのは9時半。着いてからも登山道が分からずうろうろして登り始めたのはなんと10時。泊まる予定の早月小屋まで6時間半とか書いてあったので、すでにこりゃやばいですねん。普通4時には着いとくもんですよねえ。

おなじみのこの石碑を登る前から体現しました。(苦笑)

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とりあえず2200mの小屋まで標高差およそ1400m!のっけから樹林帯の急登。
ラピュタに出てきそうな杉の巨木などを見ながら登ります。出発時刻が遅いので結局登りの人には1人も会いませんでした。降りてきた人には何人か会って、小屋は一杯でテン場も一杯とのこと。あれ?こっちは人が少ないんじゃないんかいな。。。まあ3連休の初日だから、今日はマシなはず、と思いつつ。

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200m毎にこんな標識があるので、目標にいいです。
ちなみにここで2時間くらい経過。うう、まだまだあるなあ。

さらにまた会った人に

「小屋は予約してるの?」って聞かれまして。

「いや、テントです。」というと、

「それなら大丈夫ね、小屋一杯よ。」

てなことで。どんだけ人多いねんってかんじですよ。南アルプスは人が少ないのをこういうときに実感しますねえ。この山域で小屋に泊まれんくらい人が多いのは7月の3連休くらいだそうです。

さて、へろへろしながら登ること4時間ちょい。

あれ?

着いちゃった。なんか思ってたより早く着いた。まだ3時にもなってないよっと。

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それにしてもそんなに大きいほうでもないテン場はいっぱいだあ。手前で小屋のスタッフの人に会い、
「今日は昨日よりマシですよ。でも早くテントはってください。」
と言われ、場所を確保。

ここは登山道も小屋も水場がないのがつらいところ。こないだの南アルプスは水場があってよかったですたい・・・。しゃーないので2リッター800円の山料金で水を購入。ついでにビールも買ってしまう。
かーうめー!(´∀`)
山を肴に飲むビールは最高ですたい。

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小屋から望む剣岳。つか、あそこまでどうやっていくのかドキドキですよ。

さて、ビール飲んで風景を堪能し、ご飯を食べたあとは寝るだけ。風がなく穏やかな夜でした。晴れてたので満点の星空でした。北斗七星とかカシオペヤがくっきりと見えます。山でしか見れませんなあ。が、寒い夜でした。9月下旬の山は真冬並み。吐く息が白かったです。

3時頃別のパーティーの準備の声で目が覚め、もうちょい寝るつもりが、ついでで起きる。
日の出が5時半くらいなので、それくらいに出発をと考えてましたが、もうしゃーなしで。調味油抜きのラーメンとコーヒーを朝食にし、5時前に出発。前方を行くパーティーの明かりを頼りにさせてもらい(というかヘッドランプ持ってないw)山頂へGO!

それにしても流石「岩と雪の殿堂」。

森林限界を超えた2600mあたりから、岩場と鎖場が登場。

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ま、風もなく雨もないのでコンディションはよかったのが幸い。

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こんなのとか。

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楽なほうとはいえ、それでもなかなかハードですたい。

2時間半ほど登り、登頂!

で、

人 が 多 い

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反対側からの人の多いこと多いこと。
写真撮るのも一苦労だす。。゚(゚´Д`゚)゚。
まあ槍ヶ岳、白馬岳、剣岳は登山する人ならとりあえず目指す山だそうで、しゃーないですよね。私もそのひとりだし。

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人が立って3000m!

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↑みんなが登るほう。

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↑私が登ってきたほう。

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岩ですなあ~。

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ブロッケン現象!(写真真ん中あたり)

さて、30分ほど、どこのUSJやねんってくらいの登山客にまぎれて景色を堪能して下山。
意外と広い山頂ですが、身動きがつらいくらい人がいっぱい。
別に他人のメロンパンの写真なんか撮りたくないねん!(笑)

小屋に戻ってテントを回収し、11時前に馬場島まで下山開始。

・・・これがキツい。登りで4時間半ということは2時間くらいの見込みでしたが、剣山頂へのピストンのあと、多少軽くなったとはいえテントをかついであの急登をくだるのはかなりハードでした。膝ががくがくして、汗はだらだら。一歩一歩が重たいですたい。登るよりくだりのほうが体にきますなあ・・・。

結局3時間かかって下山。すでに足はパンパン。歩くのがとてもたいへんつらい。
・・・よく考えたら1週間前に競馬場マラソン走ってるから足が本調子ではないのでした。
忘れてました・・・。
最後の1kmがとてつもなく長く感じました。絶対1kmちゃうで!

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そんなこんなで日本百名山34座目。

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2013年9月16日 (月)

小倉競馬場2と門司の旅

というわけで今年も北九州市上陸です。

昨年も参加した小倉競馬場リレーマラソン。

前回は暴風雨の中、たったの4人で42.195kmを走るというハードなマラソンでしたが、今回は9人!おかげで走る距離が短くて済みました。

関西では台風上陸している一方で九州は天気が比較的よく、ダートが去年の重馬場ではなく本来の状態。ざくざくした砂浜みたいでして、土に足をとられてしまい、普通に走るよりもキッツい状態でした。なんか従来の筋肉痛とは違う箇所が痛いですYO。

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でも1人の走る距離が短いとスピードも上がるってなもんで、
去年はブービーだったそうですが、今回は結構マシな順位だったようで。
ちなみに奈良から参加してるのは私らだけでした。(笑)
せっかくなので揃いの世界遺産PR用Tシャツを着て走り、なおかつ場内放送でPRしてもらいました。DJの人たちは奈良から来たことにびっくりされてましたが
そ り ゃ そ う だ 。(笑)

前日にはホテルをとってもらった場所が門司港なので女子3人できゃっきゃと観光。

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レトロ地区の散策をして、前回の職場旅行でここに来たとき食べ逃した焼きカレーを食べました。
http://hisapon.moe-nifty.com/tomita_rin/2009/03/post-dea4.html

(↑前回の記事)

初の焼きカレーはカレー風味のドリア?って感じで美味しかったですたい。

で、なかなか感動したのが海峡ミュージアムのレトロ街並みの再現。

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スタジオみたいに部屋の中に街並みが再現されてました。
出会ったおじさんにあんたら親子連れ?とか学生?とか言われましたが34歳の女2人と26歳の女1人、どうすればそう見えるのか謎ですたい。

んで、小倉に戻って駅前の北九州市漫画ミュージアムに行ってきました。
今月下旬まで北条司さんの原画展がやってるそうで。

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こういう記念撮影ができます。

キャッツ・アイとシティーハンターの最終回の原画がありました。これ好きな人にはかなり貴重やん。前もちょこっとみたことありますが、やはりすごくきれいです。特にカラーは印刷されたものより断然迫力があります。どうやったらああいう繊細に描けるんでしょうか。
それにしても改めて見るとこの人の漫画ってはっきりとした終わり感を出さずに終わらせるのが多く、その後彼らはどうなったのか?と想像や余韻を残すのが多いですたい。

で、これだけかと思ったら他にも北斗の拳とかの原画もございました。
ラオウがいました。そして画面が真っ黒で濃かったですたい。
しかし10数年前に一緒に雑誌を立ち上げたのはいいけど、原哲夫氏と北条司氏のファン層がかぶってるとは思えませんが。アニメの主役の中の人が同じだけで。(笑)

原画といえば大阪で春先に鳥山明氏の原画展もやってたそうで、これは行きそびれたのが惜しいですなあ。

おまけ。
門司港で飲んだバナナビア。一見ふつーのビールですが、バナナの香りがします。門司港はバナナの叩き売りの地だとか。

Img_1941

夏も終わりに近づいてますねえ。
今年は公私ともに忙しい夏だった。

あー足痛い。。゚(゚´Д`゚)゚。
普段走るってないとキてます。

今回1回たりとも練習しなかった・・・。
みなさんマラソンは計画的に。

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八重の桜「過激な転校生」

くまモンが登場するかと思ったんですが登場しなくて残念でした。

さて、熊本洋学校からキリスト教徒ゆえに追い出され、同志社に転向してきた熊本バンドの皆さん。

いるんですよね、こういう理想を掲げて周りが見えなくなってしまっちゃう若者って。

(;´∀`)

まあ熊本バンドって聞いてイカ天とかうじきつよしとかイメージしたのは30代以上の方々でしょう。

あとはこの人たちとか。(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=9SQwKRFZonk

それはさておき。

帽子に着物、ブーツ姿の八重を見て

「鵺」

なんていっちゃうのちの国粋主義学者の徳富蘇峰(猪一郎)など熊本からやってきた彼らはのちの明治の学問会・思想界に名を残す人物になります。海老名弾正まで同志社の人だったとは知りませんでしたが。日本史Bの教科書の文化史にちょろっと載ってるくらいですが、なんかすごい名前だと思って記憶していたのですたい。

習熟度に差があったり、襄の教育方針に逆らったりとなかなかやりたい放題の彼らですが、襄先生はそんな彼らに「人々の心を学ぶ」ことが必要だと諭します。
そして学生たちの母親代わりにと着物をせっせと縫う八重はつい数か月前までゴルゴ13ばりに銃を撃ちまくってた人とは思えませぬ。時代って人を変えるもんですなあ。

鵺と呼ばれて

新島ヌエと申します、

と悪評を意に介さず自虐的に言ってのける八重。

やっと主人公らしくなってまいりました。

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2013年9月 9日 (月)

八重の桜「同士の誓い」

「同志社」誕生!

ってワケで。

ちなみに私は若かりし頃、

同志社受けて不合格でした。

入試で英語がさっぱり分からんかったのだけは覚えております。それも英学校だった名残りかしらん。

解禁されたといえキリスト教への偏見が根強い京都にあって寺社勢力の反対に会う襄。しかし、遠山の金さん大垣屋さんのとりなしもあり、なんとか開校。

しかし八重は襄との婚約により、女紅場を解雇されてしまいます。建前だけでもキリスト教ではないと宣言しろと槇村に言われますが、それはできないと言って襄の支えになることを選ぶ八重。

「ハンサムウーマン」の所以です。

そうそう、前回の感想で八重と襄の結婚式は1月2日と書きましたが3日の間違いでした。
(´・ω・`)ショボーン

そして聖書は教えない、と槇村に建前を通した襄ですが、実はリーディングで聖書を使っていた襄。八重の助け船もあり、槇村をなんとか説得。

この当時、新しいことをするってのは旧勢力の抵抗など大変だったんでしょうねえ。

ちなみに明治初期、廃仏毀釈のこともあり仏教界も大変だったそうで、キリスト教もそらなかなか認めてもらえん背景も十分にあったそうですたい。

さて、日本で初めてプロテスタント式の結婚式を挙げた八重と襄。

八重さんの悪妻伝説の始まりですたい。

しかしこういう自分の意思を貫きとおす実行力を持ってる女性って憧れますなあ。

私は基本、気が弱いもので・・・|ω・`)

そりゃないぜ、といわれるかもしれませんが毎日胃痛との戦いなんですYO!(笑)

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2013年9月 1日 (日)

八重の桜「襄のプロポーズ」

今日のみどころといえば

新旧斎藤一のご対面

でしょう!(゚∀゚)

組!でオダジョー氏が斎藤一役だったことは大河ファンならご存知でしょう。

で、時尾さんと結婚したドラゴンアッシュ斎藤と、意気投合した旧斎藤・現新島襄が酒を酌み交わすシーンは大河ファンへのサービス以外の何物でもない。(笑)

・別の作品で、それを演じていた役者とその作品での役者が会う
・親子・家族共演
・別作品で同じ役者が同じ役をする
は大河の名物ですたい。

そんなこんなで。
久々に殿が登場し、時尾と斎藤の仲人を務めたとかで、律義に会津戦争の犠牲者への菩提を弔う日々だとか。

本筋は新島襄の本格登場で一気に話が明るくなったというか。
これぞ文明開化かしら。

仏教勢力の強い京都で宣教師の学校を建てることに反対されて弱腰の府知事の槇村のせいでなかなか学校設立の許可がおりません。

会津の戦で亡くなった人々や、病でひっそり亡くなってしまった尚之助さん。゚(゚´Д`゚)゚。
を忘れられない八重の心の傷を治そうとなんとピクニックに連れ出すマイペース襄。サンドウィッチ持参で弟を失くした鳥羽伏見の戦いの地に八重の連れ出します。いやーセット
八重に過去と向き合うよう諭す襄。その声にようやく八重の頑なな心もほぐれたようです。

尚之助さん・・・報われない人生でかわいそうです。

そして襄が作ったサンドイッチを食べます。なんかこのシーン先ほど引退を宣言した宮崎監督の「千と千尋」のワンシーンを思い出しますが。。。
あれはおにぎりだっけ?

あいかわらず学校開設への坊さんの反対は続きます。

追い出されて転んだ襄を手当てする八重に再度、襄はプロポーズ。

尚之助さんを忘れられないという八重ですが、それでも構わないという襄に八重はとうとうそれを受け入れます。

このやりとりでラブコメの傑作「めぞん一刻を」思い出したのは私だけでしょうか。

襄さんが管理人さんにアタックする五代君に見えて仕方ない(笑)

どうでもいいですが、公式HPの年表見てたら、襄と八重の結婚式の日って私の誕生日。。。

いやーしかしオダジョー襄(かぶっとる)のちょっとマイペース天然ジェントルマン具合がステキです。とんがった役が多いですが、たまにはこういう役もいいですねー。

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