« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月27日 (日)

八重の桜「鹿鳴館の華」

アームストロング砲は

アームレスリングになりました!

(゚∀゚)

ってな感じのオチですたい。

山川家の末っ子捨松を是非嫁に欲しいと言うポイズン大山巌。

山川家の皆さんは薩摩出身かつ会津を攻めた大山に対する恨みは消えず。一方で捨松は巌に実際に会い、その人柄にひかれます。
以前も書きましたが日露戦争で日本が勝つことができたのって、秋山兄弟の活躍ももちろんですが、器の大きなこの人のおかげだと密かに思ってます。
日露戦争時、部下には責任は全部自分がとるから、思った通りに行動しろ、と言ったそうで、おかげで各能力を発揮できたと。
今の職場にもこういう上司がいてほしいなあと思う次第であります。

話がそれました。なんども山川家を訪れる大山。
そこへ主人公らしく八重がやってきて嫁入りをかけた腕相撲をすることに・・・。

え、これ史実ちゃいますよね。。。^^;

ま、今回完全脇役の八重を出張らせるには仕方なかったような話ですが。

結局捨松が大山の名を呼んでひるんだ八重が負けました。

しかし負けてよかった勝負、とはこのことで。めでたく捨松は大山と結婚することに。華やかな鹿鳴館時代の中心としてその名を残します。あ、ちょい登場の津田梅子さんが嬉しかったですたい。そりゃ捨松を描くなら梅子が出てこないとおかしいでしょうよう。(笑)
関西の人にはあまりなじみのない関東の名門大、津田塾の創始者でございますよ。

それにしても留学帰りでも女子に仕事がないとはつらい時代でございました。ま、今も留学しても職は簡単に見つからんのと一緒ですが。。゚(゚´Д`゚)゚。
あ、予告で会津の殿が久々に登場!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

先週の出来事まとめ

NAVARみたいな感じのタイトルで。先週の土曜日はイベントのダブルヘッダーでした。

仕事の子供向けイベントと、個人でやってる第6回のかしはらコスモスうたまつり。

後者はイベント時期の秋ゆえに会場の確保が難しく、この日の夕方しか空いてないという。課の年間行事のうち、メインの仕事を休むわけにはいかず、ってなことでダブルヘッダーとなりました。

それにしても香久山公園と文化会館を行ったり来たりと結構大変で無茶苦茶疲れました。

(^^;

http://www002.upp.so-net.ne.jp/hisapon/music/prog6.html

↑第6回の様子

公私のイベント準備を同時進行でやってるとどっちがどっちかわかんねえよってな感じです。

それでもなんとかこなせるわたしの事務能力の高さを誉めて下さい。(笑)
と、いいつつどちらも無事に終わることができたのは協力頂いたみなさまのおかげです。

で、この月曜日は研修で、十津川村まで行ってきたという。2011年の台風災害の視察が目的で、土砂崩れの現場などを目の当たりにし、亡くなられた方もいる場所を見るとやはり、何かと心動かされるものがあります。橿原市内からバスで3時間も山道を走らないと辿りつけない場所ですが、温泉という観光資源を活かして復興をがんばるという前向きな話をして頂きました。

To

まとまりないですが、近況はこんな感じです。来週はまた忙しくなりそうです。公私で予定がたてこんでますねん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月20日 (日)

八重の桜「襄と行く会津」

回想回に近かったですが、それでもうらとみねちゃんの母子の再会は泣けました。

。゚(゚´Д`゚)゚。

昔の会津の面影がほとんどなくなった故郷。

しかし角場の跡がかすかに残り、在りし日を思い出す八重たちでありました。

焼け野原になった会津を、いつかは元に戻る、という希望の言葉は震災復興へのメッセージにつながる、今年のいちばん言いたかったことかと思います。

ところで自由民権運動の演説会での板垣退助の襲撃事件、大河ドラマで見たのは初めてかもしれません。

また、久々に山川家の皆さんが登場し、留学していた捨松が帰国。
英語ばっかりしゃべるから、
日本語を忘れてしまったの?と聞かれてしまって、
もちろん覚えてるわよなんて英語でいっちゃう捨松さん。
忘れとるやんけ!(笑)
彼女は次週の主役となりますが、前髪クネ男こと、東大教授の健次郎も輩出した山川家こそ元祖、華麗なる一族ですねえ。

鹿鳴館時代は華やかですたい。

そういえばもう残り、あと2カ月を切りました。

ここまで振り返ると、会津藩の人々を描いた群像劇の体でしたなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月17日 (木)

ドラえもんたちに会いに行く

先日、東京日帰り高速弾丸ツアーを敢行してきました。

目的地はこちら。

Img_2093

すっかりスカイツリーに東京のシンボルを奪われた形ですが、まだまだ観光名所です。

で、目的はここ。

Img_2120

関西在住には悲しいかな藤子Fミュージアムも川崎で、なかなか簡単には訪れられません。。゚(゚´Д`゚)゚。

いずれ東京訪問の機会があるだろうと思ってたんですが、期間中にその機会は訪れず、閉幕期もせまってるので、思い切って行きました。

しかも 軽自動車で東名高速をぶっとばして。
トラックがびゅんびゅん来て怖かったです。

そして、むちゃくちゃしんどかったです。

しかーし!

Img_2106

Img_2110


藤子Fファンとしてはここは行かねばなるまいということで往復14時間かけて大阪~江戸を往復。いやー行った甲斐がありましたよ。原画の数々に、80体のドラえもん。(みんなそれぞれ違う道具を持ってるんです!)
そして何よりも感動したのがプロジェクションマッピング。数分の動画ですが、最新技術を駆使しての映像ショーでした。撮影禁止なのがしゃーないですたい。

週末の雨の日だったんで親子連れがいっぱいでしたが、どう見ても子供そっちのけで親が夢中になってるのがほほえましく。

Img_2135

いやー、感動。
無理矢理でも行った甲斐がありました。
存命なら80歳、もっと長生きしてほしかったです。

帰りは高速代をケチって1号線を小田原まで下りましたが、首都圏の休日の渋滞の恐ろしさを知りました。4時間近くかかりましたYO!
こんな強行は二度としません。(笑)
新幹線は偉大です。

小田原城に寄ったんですが閉館したあとでした・・・。

Img_2163

ライトアップされてたのがせめてもの救い・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月14日 (月)

八重の桜「覚馬の娘」

みねちゃんの結婚話と、槇村と覚馬の対決。

そんな感じです。

どっちかというと再び主人公が蚊帳の外になっちゃったような感じですねえ。

幕末の思想家、横井小南の息子である同志社の卒業生伊勢時雄と文通していたみねちゃん。同志社で開かれる演説会を機に再会し、プロポーズです。

しかし、山本家の跡取りとして、お婿さんをとらなければいけない身、嫁入りを勧める父に、自分はどうでもいいのかと言い放ちます。

兄の心を察した八重はみねちゃんに、兄さんはちゃんと娘であるみねのことを考えている、と伝えます。こういうところは主人公クオリティ!

そして、いよいよ演説会の日、時雄さんの番。愛について語る彼、そして父のいつでもお前のところへ行くよとの言葉を胸に彼女は嫁いでいくのでした。

世間では、京都府知事の槇村の勝手な増税政策に反発した覚馬率いる京都府議団が、マスコミを味方につけ、覚馬の辞職とともに槇村を京都から去らせます。

ここに覚馬と槇村の戦いは相討ちにおわり、京都の発展という形に残っていくのです。

さて、今日は出番の少ない襄さん。
自由民権運動により、国会開設が示されたのを背景に大学設立への夢を描きだします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2013年10月 6日 (日)

八重の桜「妻のはったり」

OPの10月verは蝋人形館?
東京タワーに行ってきた私にとってはなんてタイムリーな(笑)

覚馬の府議会議長就任と同志社英学校の学生ストライキとの同時進行。

自分が知らないままに得票して府議会議員になってしまった覚馬。
立候補が当然の今にあってすごい話や。

余談ですが、昔はうちの小学校、PTAの役員は推薦制で、うちのおかんは10年以上もPTAの役員をやっていたという。やれ、というわれたら断らなかっただけだそうですが、この議員になった人たちもやれと言われたら引き受けてたってことなんでしょうかね。

議会がなんたるかを知らない他の議員にそれを教えていく覚馬を分かりやすくいらだってるのはもちろん槇村知事でございます。

一方、アメリカからの援助で成り立つ同志社は学生からの宣教師が少ないことにクレームを受けます。しかし表だって聖書の授業さえはばかられる時世では難しく、悩まされる襄先生です。

生徒からは気弱だと言われてしまう襄。そこへ八重は額の傷は役人と闘ったものとウソをつきます。それを信じる生徒たちは以外な襄の一面を知ったと驚きます。

しかしクラス合併の話を進めたことに徳富が先頭に立ち、ストライキを実行。

そこへ襄は学生に謝罪し、騒動の責任は自分にあると自らの手を杖で打ちます。
これが同志社に伝わる有名な「自責の杖」事件だとか。

そんな襄の心を知った学生たちは元の鞘に。しかし、騒動の責任をとり徳富は退学し、新聞記者を目指します。のちに新聞「日本」を創刊することになりますが、それは描かれるのでしょうかね。

さて撮影終了したそうですが、ラストシーンの撮影が40代の八重の会津戦の回想だとか。
叙勲はさらっと流されるような気がしてきました・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »