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2014年6月29日 (日)

軍師官兵衛「長政初陣」

どうもキーボード内に対するPCの反応が遅くてイライラしてしまいます。
実はブラインドタッチできてないんですけどね。
人に私はかなり速いと言われるのですが。

さて、元服した長政くんの初陣です。

ちょうどこのころ弟の熊之助も生まれまして。

作中で14年ぶりの子どもの誕生、と言うてるから・・・

長政は14~5歳!Σ(゚д゚lll)

そこは大河のお約束、若作りと老けづくりですな。

手柄を立てようと、散々出番を延ばされたこともあり、血気盛んに戦場で戦う長政ですが、官兵衛に諭されます。
パパンは分かってくれない、スネる長政君でした。

さて、そんな一方、備中高松城攻めに着手した秀吉軍。官兵衛の案で有名な水攻めをはじめます。

この作戦が行われるということは、いよいよ本能寺の変でございます。

知らん間に(笑)武田を滅ぼし、ようやく徳川家康という名前も出てきました。
そして武田を滅ぼした際、ともに焼かれてしまった恵林寺の高僧、快川和尚の名セリフがこんなところで聞けるとは思いませんでした。

この時期、この言葉は身に沁み入ります。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

明智さんもそろそろ本気出してきましたね。

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2014年6月22日 (日)

軍師官兵衛「栄華の極み」

二重の極み!

・・・は置いといて。

信長様にお髭がやっと登場です!
キタ━(゚∀゚)━!

信長さまはヒゲがないと、イメージがどうもってな感じです。

朝廷の権威をものともしない信長さまはやりたい放題。

安土城のライトアップを400年以上前にして驚かせまさに絶頂期。

しかし、朝廷との間をとりもつ光秀は心労が・・・。

大昔に読んだ本で、本能寺の真相は、朝廷権力を守るために、光秀が信長を倒したのではないか?と書かれていましたが、今回はその路線でいくのでしょうか。
戦国モノを扱うとき、必ずといって本能寺の変は描かれますが、そのときどきによって色々な角度や説が取り上げられるのが興味深いところですねえ。

一方主役だった官兵衛。光秀に誘われますがやんわりと拒否。毛利攻めへの準備を進めます。そんな中、宇喜多直家が亡くなり、子の秀家を秀吉に託し、亡くなります。
その未亡人を巡っての秀吉とおねのほほえましい夫婦喧嘩の一方で官兵衛と光の間に待望の二人目の子を授かります。そういえば松寿丸が生まれてからいっとき、第二子はまだかまだか騒動もありましたしね。これに夫妻は大喜び。久しぶりに明るい話題の黒田家でした。

そして松寿丸が元服し、黒田長政を名乗ることになります。

シンケンジャー見参!(笑)

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2014年6月20日 (金)

日本と西洋の自然観と宗教観について

珍しくお堅いタイトルで。

先日、仕事先での講演会を聴きに行ってきました。

別件の仕事があったので途中からだったのですが、講師は元文化庁長官の近藤誠一さん。
昨年、富士山が世界遺産登録した際、ICOMOS(世界遺産にふさわしいか事前審査する人たちの集団)から除外勧告を受けていた三保の松原を、ロビー活動で逆転登録に導いた方で、ご存知の方も多いと思います。

講演の中で、日本人の自然観が西洋(特にキリスト教世界)とは異なっており、それを理解してもらうことが日本の文化資産を世界遺産に引き上げることだと。

日本人の自然に対する立場は対等、もしくは自然のほうがやや上、という考え方に対して、西洋では人間が一番上、という考え方があります。

この差異は宗教観(およびそれに類似する感覚)にもつながります。

西洋世界、特にアメリカは無神論者を排斥する傾向が強いという話を聞いたことがあります。西洋では信仰を持つことがひとつの人間としてのステイタスであり、信仰を持たない人間は人間として一段下に見られる、という傾向です。

グローバル化した世界、と言われて久しいですが、西洋における信仰をもつこと=創造主である神の存在を信じることが未だにその世界での正義であり、イスラム世界の過激派ほど表だってはいませんが、西洋人の拠り所として千年以上受け継がれていることは間違いありません。

実際わたしもワーホリ時代、真面目に信仰を語る西洋的考え方に触れたこともあり、日本人の私たちが思っている以上に「神の存在」は根付いているものであると感じました。

それに対して日本人の宗教観は自然観とともに、人間も自然の一部であり、八百万の神がそれぞれの人格を持ち、それに生かされていることに感謝し、あらゆる神を無意識に敬っています。
聖徳太子の時代に仏教を受け入れ、憲法にそれを掲げても、古来の自然崇拝の宗教概念は残り、平安期頃には本地垂迹説で仏教と神道を両立させています。

西洋では従来の信仰は淘汰され、キリスト教(あるいはそれの派性宗教)が絶対的な権力を握っていきます。

宗教や自然観における日本の「共存」に対して、乱暴に言えば西洋は排他して絶対的な権威をたてる「対立」観念が存在しています。

これはよく農耕民族と狩猟民族の違い、と言われていますが、この他に日本という国の地理的条件が大きく関係しているのではないでしょうか。

単一民族が暮らす極東の島国で、地震や台風などの自然災害に常に晒されている土地で暮らすには自然との「畏怖をもった共存」が必要でした。ありのままに自然の脅威を受け入れたのです。
自然と共に生きることができれば、そこに絶対的な創造主は必要ありません。政治制度でいうところの「共和制」の思想が形成されていったのです。

これに対して多民族が住み、自然の脅威が少ない広大な土地で異民族間の戦いを繰り返す西洋社会では、人間の絶対性=人間の権威を高めることが必要でした。それが中央集権的な「支配」の思想につながったのではないでしょうか。そして絶対的な権威の象徴、創造主である神の存在を唱え、「人間は神が創った特別な存在」であることが人間の正当性にお墨付きをあたえ、人間は自然を支配するべきもの、と考えるに至ったのではないでしょうか。

日本人は宗教心が薄い、といわれていますが、実は全くの逆です。
先祖から受け継がれている自然との共存という思想が、日本人の信仰であるわけです。そしてそれは決して他の信仰を排他するものではありません。明治期に一時廃仏毀釈があったくらいです。

また、宗教の違いに端を発する戦争が多い世界史の中で、日本における宗教がらみの大きな戦争は、蘇我氏と物部氏の戦いくらいで(それも実質は権力争い)、ほとんどありませんでした。

これらを通して、日本の自然観・宗教観を世界に理解してもらうことが、世界平和につながるのではないのか、と昨今の情勢をみて思った次第です。

富士山はやはり、偉大です。日本の自然観の象徴であり、平和のシンボルかもしれません。

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2014年6月15日 (日)

軍師官兵衛「帰ってきた軍師」

ウルトラマンに替えたいサブタイトルです。

今日の見どころは

・往生際の悪い赤鼻の殿!w

・イケメン別所長治の最後。

・ハイテンションアドリブ?な秀吉

でしょうか。

軍師として戦場復帰した官兵衛ですが、人が変わったように三木城の開城を迫ります。
半兵衛の代わりに、という気負いからです。

しかし、旧主の小寺の殿を殺せなかった官兵衛。

秀吉はそれでいい、と官兵衛を責めませんでした。

非情になるきっかけをつくったのも小寺の殿なら、情を思い出させたのも殿、という皮肉な話ですね。いや~それにしても小悪党な小寺の殿の鶴太郎さんの演技はGJでした。

一方情け容赦のないのは信長。

有岡城で宴会を開き、だしさんの亡霊と対峙しても村重に対する恨みは変わらず。そして長年仕えてきた佐久間信盛も大した軍功もなく、過去の反抗を引き合いに出し、追放。
これぐらい情けのないのもすがすがしくてよろしいです。

お、予告でやっと信長にヒゲが!
(゚∀゚)

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2014年6月 8日 (日)

軍師官兵衛「有岡、最後の日」「半兵衛の遺言」

山に行ってたので2週分まとめ。

まあ感想として毛利って強かよね、って感じですね。

地味なイメージがする戦国大名ですが、結局幕末まで残ったのはこの時流を読むことに長けていたってことなのでしょうか。

てなわけで、荒木村重が待てども毛利の援軍は来ず。
動きが不気味な宇喜多が秀吉側についてしまったことで、身動きがとれなくなってしまったようです。宇喜多さんも保身を考えてのことです。

それにしびれを切らした村重は、自ら城を抜け出して中国へ向かうことに。しかし、身動きがとれないまま、城主不在の有岡城は織田軍に攻められ、妻のだしさんたち一族は捕えられてしまいます。

そしてやっとのことで官兵衛は救出されるのでした。
しかし、そのさなかに、半兵衛さんは病気のため亡くなります。官兵衛の息子、松寿丸に軍配を形見として託して。

なんとか救い出された官兵衛ですが、家族や家臣と再会できたものの、長い幽閉生活で足は曲がり、思うように歩けず。そして悪夢にうなされます。

そこへ松寿から半兵衛の軍配を受け取り、その意思を受け継ぐことを悟ります。
そして秀吉のもとへと帰還していくのでありました。

一方、荒木一族はだしさんを筆頭に無残にも全員処刑。
残酷です。。゚(゚´Д`゚)゚。

信長の怒りに触れた代償はあまりにも大きかったのです。

それを知って慟哭する村重ですが、それでも生き延びることを誓い逃亡。
ネタバレすると、文化人としてしぶとく生き残り、信長より長く生きます。

・・・有馬温泉にとっても行きたくなりました。

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2014年6月 4日 (水)

蝶ヶ岳と常念岳

先月は奈良で残雪の山登りを試みてみまして、そろそろどうだろうか、ということで北アルプスに行ってまいりました。

深夜の3時に大阪を出発し、東へ。

9時過ぎに平湯温泉のあかんだな駐車場へ。ここからバスに乗り換え、上高地へ向かいます。

到着したのは10時過ぎ。山開きもしたところの快晴の土曜日。この時間ですでに人がいっぱいだあ。

まあ上高地といえばお約束の風景をば。

どーん!河童橋と穂高連峰!

Okakusoku1

ここから登山口の横尾まで3時間歩きます。

今回の山行きは穂高連峰が一望できる蝶ヶ岳に登り、そこから稜線を辿って常念岳をピストンして再び上高地に戻ってくるという行程。

あとから分かりましたが、夏場ならともかく、この時期にあんまりこんなコース辿る人いないみたいです。。。

蝶ヶ岳の登山口である横尾までは平坦な道のりを歩きます。

Okakusoku2

しかし、流石は日本を代表する観光地。
人・人・人。
新緑の綺麗な時期だからか、カメラ抱えた人がたくさんで、なんか撮影ツアーみたいな集団にも出会いました。

横尾についたあたりでは流石に登山客だけになって、人気も一気に減りましたが。

さて、登山。

ここに着いた時点でもう13時前。もう2時間くらい早く着きたかったのですが、前日飲み会があって酒を抜くためには出発を遅らせざるをえなかったのです。。。
そして仮眠3時間半。ここまで2時間半の歩行。
あまりHP(体力)が無い状態ですが、まあものは試し。

ここから蝶ヶ岳のテント場に着くまで数組のパーティーとすれ違っただけという孤独な戦いでした。あんだけ人いたのにどこへ行きましてん!って感じ。

そして登って30分ほどで、

雪!

雪!

北アルプスの雪はまだまだ根深いですたい。
何度も足をとられて滑るわ沈むわで悪戦苦闘。しかもかなりの急な登り。
装備はステッキ1本に簡易アイゼンのみと相変わらず雪山をナメてます。
体力だけを頼りに登ること3時間半。
なんとか稜線に出ることができました。

Img_3331

雪の樹林帯から青空を見るとほっとしますよね~。

Img_3340

蝶ヶ岳まであと30分!まだけっこうあるんですよね・・・。

ぜえぜえいいながら、蝶ヶ岳ヒュッテにやっと着いた・・・。

Img_3343

奥がテント場でそのすぐ上が山頂。
ほんまに山頂直下に立ってます。

Img_3349

この時点で17時前。
テント場もそこそこ空いてたのが幸いです。

いやーそれにしても絶景とはこのことですよ。
富士山まで見えます。

Img_3360

そして、槍ヶ岳を中心とした穂高連峰!アルピニストの聖地ですよ。

Img_3362

2年前の夏はあの先っぽにいきました。

天気がいいので山並みを堪能しながら、お約束のビールとラーメンで腹ごしらえしました。

しかし、深夜になると、流石に稜線上だからか風が強まりテントがガタガタ。寝付けなくて朝を迎えてしまいました。星空は最高だったんですけどね。

さて、この日は常念岳を登ります。

予定では登頂して再び蝶ヶ岳に戻り、上高地まで下山する予定だったのですが、予想以上の残雪に苦労し、かなりの時間を要してしまいました。

Img_3347

真ん中に見えるのが常念岳。ちょっと頑張れば・・・と思いながら進むのですが、なかなかこれがしんどい。

というのも、何度も登ったり下ったりを繰り返すという一番キツいパターン。

Img_3403

そしてとどめが最後のこの400mほどの登り。

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何度も心が折れそうになりました。

出発から4時間ほどでなんとか登頂。

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あまり高さを意識してなかったんですが、3000m近くやったんですね。
どうりで息苦しいはずです。でも、高山病にはならないラッキーな体質。

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槍もバッチリ!

Img_3376

いやー天気がいいのはいいことです。

ここで思い出したのが、上高地からのバスの時刻。平湯の駐車場までの最終ってたしか17時代のはず・・・。
やばい!ここから蝶ヶ岳まで3時間ほど、そして下山口の徳沢まで3時間、そして徳沢から上高地まで2時間・・・。8時間・・・。時刻は9時を回っておる・・・。そして蝶ヶ岳でテントを回収する時間を考えると・・・。

やばい・・・。

とりあえず下山すべし。

それにしても雪・・・。そしてシャリバテでなかなか進まず。途中でへばってると、岐阜からきたという2人組に出会い、同じく蝶ヶ岳まで行くとのこと。私の行程を聞くと、そりゃしんどいでえ~と言われる。蝶ヶ岳と常念の往復はかなりキツいみたいでした。

彼らには先に行ってもらい、とりあえず、進むしかない。。。

しかし8時間ほど食わずで歩きとおすには体力が足りませぬ。フラフラになりながらもなんとか辿りついたとき、例の2人組が到着されてまして、

「途中で行き倒れてるかと思ったよ。」

と言われちゃいました。

ヒュッテでカレーを食べてなんとか体力を回復させ、テントも回収。しかし、この時点ですでに14時。上高地に17時に戻るのはかなりきつい・・・。

なんとか下るもやはり雪で時間を食ってしまい、徳沢に下りた時点ですでに17時。
アウトです。

しゃーないので、ここでまた一泊することに。
事前に休暇をとっといてよかったです。

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井上靖氏の小説の舞台らしいです。

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なかなか快適なテントサイト。

ここでテントの受付をしていると、職場の人(となりの課の再任用さん)とばったり!
その方は宿のほうに宿泊だったのですが、まさかこんなところで会うとはねえ。
偶然とは恐ろしいものですよ。(笑)

まあそんな感じで翌朝、無事に帰りついたのでありました。

恒例の温泉は平湯温泉の「神の湯」にて。

朝早くで客は私だけで貸し切り状態。源泉かけ流しの湯を堪能しましたとのことよ。

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それにしても残雪のこの時期、ここまで登りに来る人はそこそこベテランな人が多かったですね。さらに装備をちゃんとしていかないと命にかかわるなあと思いました。

とりあえず、アイゼンとピッケルは買っていくべきでした・・・。

雪に何度も埋もれたり滑ったおかげで足が無茶苦茶痛いです。

日本百名山はこれで35座目!

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