麒麟がくる「闇に光る樹」「本能寺の変」
仕事が重なり長いこと最終回をみることができないという悔しさよ。
本能寺の変を明智光秀が起こした理由というのは様々なんですが、今回は様々に複合的な理由が重なったという解釈と、結局は天皇制や将軍という朝廷権威の維持と平和な世を願う光秀が戦わざるを得ない理由に、麒麟を連れてくると思って支えたはずの信長が戦の種となっていることに気が付いたことと、連綿と続く朝廷の存在を否定したことが原因ということですね。
そして帰蝶がいうところの始末は自分でつけるべき、という言葉が後押しとなった、と。
今回はベタな「時が下しる~」の歌も、「敵は本能寺にあり|、信長の敦盛すらもないという本能寺の変でしたが、信長と光秀の信頼関係があるからこその「是非もなし」、が響いてきました。信長は最後まで光秀のことを無二の同志だと思っていたことが分かります。
そして歴史的には最後に麒麟を連れてくる存在である徳川家康との信頼関係と、同志的な思いの共通性が、光秀が山崎の合戦後も生き延び、僧天海として徳川幕府の設立に大きく関与したという説に説得性を持たせてくれました。
光秀が生きていた俗説を大河でと入りいれるのは珍しいですが、コロナ禍の中で希望を持てるラストにしてくれたのには、爽快感を感じることができました。
山崎の合戦はナレだし、秀吉が本能寺を知っていた説などを取り入れているのも面白い。
結局菊丸の服部説も分からないままでしたが、そこらへんも光秀の生死とともに見た人の想像にお任せします的な演出がいいですね。
コロナ禍で一年以上かかってしまいましたが、みなさんお疲れさまでした。
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